俯瞰してみる 2023年2月3日 悩んでいる時の質問 目の前のことを見よう。次に周りを見てみよう。 そして、さらに俯瞰して全体像を見てみよう。 俯瞰してみることで目の前にあったものの大きさが、小さいものだと気づく。 大きく見ることで描けるビジョンの大きさも変わる。 今やっていることを俯瞰した時、何が見えるだろうか。 魔法の質問「俯瞰した時に何が見えますか?」
みんなの答え
本質的なもの、例えばビジョンの核となる哲学や、そのビジョンを求めている自らの中に湧き上がるニーズが見えてくる
目先のことにとらわれて近視眼的な行動しかしていなかった自分。それを恥じて、少しは長期的大局的な視点で物事を視なければならないという意識・姿勢が生まれてくること。
俯瞰がよくわからない
俯瞰した時何が見えますか?
私だけの喜び
だけが
際立つのではなく
周りの人との協調、共感
そして
相手の喜びも
見えることの
喜び
高い視点に立つ
自分が映画の主人公のように
どう振る舞ったら最高の自分でいられるか
落ち着いて自分を観測してみる
良かった事・悪かった事、成功・失敗、嬉しい・悲しいという感情…
すべてがいつかは自分の糧となる。
何事も無駄なことはない。
根本的に大切にせねばならない事を再確認でき、目先の感情論などに惑わされずに、解決せねばならない問題が焦点化される。
悩んでいたことや目の前のことが小さく見えますね。
俯瞰する という言葉は 上から見ることを言うそうです。
そうなると自分の小ささを思い、自分の悩みもいかに小さいかを考えざるを思えません。だから悩んでも、しゃーない。
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俯瞰(ふかん)とは、「高いところから見下ろすこと」を表す言葉です。 そこから転じて、「全体を把握すること」の意味で使われることもあります。 ビジネスシーンでは、後者の「広い視野で全体を把握すること」の意味でよく使われる俯瞰。 「俯瞰して見ましょう」などと言われることもありますが、実はこの表現は誤用です。
実は大きなもの(エネルギー)がいつも周りにあってそれによって動かされてる。変化してないようでしてる。全てが
ひとりでもがき苦しんでいる
どの角度から見ても目の前にあるものの
大きさが、一番大きいです(ノ_・。)
時々思うんです。
人間ひとりひとりが、お星様なんじゃないかと。
私達は空を見上げると、無数の星々がキラキラと輝いている。
人が主になってみているから、星は星であって、人は人になっているのかも。
人も一人ひとり輝きを放っていて、どここらかみると、人も星のように見えるんじゃないかな、と、たまに、想像しています。
頑張ってる自分に、頑張らなくても良いよ。
怒ってる自分に、怒っても良いよ。エネルギーが燃えているね。
楽しんでる自分に、ただただ、いいね!
喜んでる自分と、神様が共にいる!
しあわせな自分は、愛の呼吸してる!
ありのままの自分を認める俯瞰の目を感じます。
小さい自分
今欲しい物の何と無意味な。と思ってしまった。
本当に欲しいのは、それ自体ではなくそれで手に入る恩恵と感情。
なら、形は関係ないのかもしれない。
形にこだわる必要はないかも。
人間世界の小ささ。
どんなに偉い人でも、自分の領域から出た途端に「ただの普通の人。」
人は、ただの人。それ以上にはなれないんだなと思った。
そしたら、権力とか権威とか、誰かより上だとか下だとか、どうでもいいことなんだなって思えた。
どこにいても同じ空の下。
誰もが
「ただの人。」
上司も部下も。政治家も一般市民も。
それぞれが、自分の幸せと相手の幸せを願うことを考えていければ、それでいいのかもしれないと思った。
今自分の身におきている事は、辛くても必要な事。
現状はあくまでも通過点に過ぎないという事。